そもそも高学歴凡人とは?
高学歴凡人とは、読んで字のごとく「高学歴ではあるが特に秀でているものがない人」と定義させていただきます。
高学歴で凡人って矛盾してるんじゃないの?って思う人は多いのではないでしょうか。中にはいい大学に行っておきながら凡人を名乗るなんてと非難する人もいるかもしれません。
確かに厳密に言えば高学歴の人は少なくとも勉強はできるわけですから凡人ではないはずです。むしろ学歴社会の日本においては上位に位置していないとおかしいわけです。
しかしここで誤解しないでいただきたいのは高学歴凡人というのはあくまで他人の評価によるものではなく主観的なものだということです。
そしてこの高学歴凡人というのは今日本の若者の間で増えてきているように感じます。
特徴としては
・やりたいことが見つからない
これにつきます。
さらっと書いていますがこれの恐ろしいところは精神的に追い詰められてしまうことです。
では高学歴凡人はなぜ生まれるのでしょうか。
その理由を私なりに3つ考えてみました。そこで見えてきたのは高学歴凡人は日本教育の被害者であると言っても過言ではないということです。
高学歴凡人が生まれる3つの理由
①入学が難しく卒業が簡単な学校教育
日本の大学というのは入試に重きを置いており、当たり前ですが偏差値の高い大学ほど入ることが難しくなっています。
入試で落ちた場合は来年の入試に向けて浪人という選択をとる方もいるでしょう。
ではなぜそのような競争が起こるのでしょうか。
それは勉強を頑張っていい大学に行けばいい企業に入れるというのが当たり前とされる世の中になっているからです。
なんて会話されるくらい常識なわけです。
そんな私も例に漏れずいい大学に行けば将来安泰なのだろうと思い、勉強を頑張り北海道大学に入ることができました。
しかしいざ就活となった時に気づきました。
「あれ?自分のやりたいことって何だろう。」
大学に入ることが目的となってしまっており入った後はある種の燃え尽き症候群のような状態になってしまったわけです。
大学で「これを学びたい」というより、「とりあえずいい大学に入る」という状態です。
そして入りさえすればある程度当たり前のことをしていればやる気がなくても卒業できてしまいます。
こうしてある程度勉強はできても大した能力のない高学歴凡人の出来上がりです。
②大学と社会は全くの別物
そうはいってもいい大学に行っていたんだからまあ就職は何とでもなるだろうと思っていました。しかし、高学歴の人なんて周りにいくらでもいるわけです。
そして、面接は上手く話せるかどうかが重要になってきます。それまで真面目に勉強を頑張ってきても面接では全然関係ありません。
つまり頭は良くても上手く話せない人は社会では評価されないわけです。
勉強を頑張りなさいという風潮の中で育ち、いざ就職という場面では人間性であったりコミュニケーション能力であったりといったことが評価されるという急な方向転換に戸惑う人も多いでしょう。
さらに就職してからも社会の厳しさに直面することになります。(※もちろん仕事にもよります)
日本は新卒採用を重要視しており、採用してから教育していく方針をとっているため大抵の人は大学で学んだことがそのまま生かされることは少ないでしょう。
つまりここで学歴はほとんど意味のないものとなります。
そして経験年数がものをいうのが社会だと気づくことになります。
自分より学歴が低くても長く仕事をしている人の方が仕事はできてしまいます。同じ年齢でも大卒より高卒で入った人の方が4年長く働いているわけなのでこの経験の差は大きなものとなります。
給料は大卒の方が確かに高いかもしれませんが、大して仕事ができないのに給料が高いことにも申し訳なさを感じると同時に自分の凡人さを知ることになります。
③プライドや世間体が気になる
たとえ自分の凡人さに気づいたとしてもそこから何か行動を起こすことはとても難しく、結局凡人としていることを選んでしまいがちです。
例えば途中で何かやりたいと思えることを見つけられたとしても、今まで頑張って積み上げてきたものを無駄にしてしまうのではないかという思いが働いてしまい結局ずるずると継続します。
要は今まで頑張ってきたんだというプライドが高学歴凡人の場合は特に邪魔をするのです。
そして周りからも期待されているのがわかっているため簡単に道を外れていいものかという葛藤も生じます。
これが凡人を凡人のままでいさせる要因です。
周りの人と合わせて凡人でいることが一番楽なのは確かなので、私たちは知らないうちに凡人への道を歩んでしまいます。
しかしそれが本当に幸せかというのはまた別の問題です。
自分が納得できているのであればいいですが、そうでないのであれば思い切って行動をしてみましょう。
行動しないことには何も始まりません。
